プロフィール

みなさんこんにちは。初めましての方は初めまして。てんてんです。
普段は「家族を路頭に迷わせない」をモットーにtwitterで活動している僕ですが、

「どんな人なの?もっと知りたい!」

といった声が、ちらほら聞こえてきたので、僕が育ってきた経緯。価値観。みなさんに伝えたいことについて書いていきます。

小学校時代

両親がホームで行われる試合に全部行くほど、熱狂的なプロ野球のファンで、それに伴って野球をすることも、見ることも大好きな少年でした。
小学校2年生から、地域の少年野球部に入部。入部当初は誰よりも体が小さく、体力的にも未熟にも関わらず、上級生と同じようなメニューをひたすらこなしていました。

正直、昔すぎてほとんど覚えていないのですが、母親曰く、どんなにしんどくても練習を休みたいといったことはなかったと言います。

その練習の甲斐もあって、5年生からレギュラーを獲得!

したのですが。。。ただ、練習試合に他のイベントを優先し、行かなかったことで監督が大激怒。

その後、目の敵にされ怒られる毎日。萎縮して結果も出せなくなり、さらに怒られる負のスパイラル。結果的にチームにも迷惑をかけてしまい、大好きだった野球が嫌いになってしまいました。そして、監督に直談判して野球を辞めることにしました。

と同時に、友人に誘われたテニススクールに通い始め、「良くも悪くも自分次第である個人競技」に楽しみを覚えていました。

中学校時代

小学校6年の時に、親の転勤が決まり見知らぬ地でスタートすることになった中学時代。
周囲のほとんどが地元の小学校から進学してくる中で、私はその環境変化に馴染めず、いじめの対象となりました。

いじめといっても、「机を運んでくれない」「廊下を歩いていると避けられる」「休み時間中話し相手がいない」といった軽めのものでしたが、当時自分にとっては学校に行きたくなくなるほど嫌な思い出です。

そんな、私を救ってくれたのはテニスでした。クラスを離れてできる部活の時間は自分にとってすごく楽しい時間で、朝から晩までテニスのことを考える日々が続きました。

また、小学校から少しやっていただけあって、大会に出ては市大会優勝。地区大会準優勝。県大会でもベスト4の結果を収めることができ、全国大会一歩手前までいくことができ、長期休み後には4〜5枚の賞状を獲得していました。

そして、上記の結果が全校生徒の前で表彰されると、「あいつはなかなかやるやつだ」と認められるようになり、そこから自然といじめもなくなりました。

中学校で「人を見返すために己を磨く」「しんどい思いをしたからこそ、そういう大変な境遇の人を助けたい」という価値観が身についたと思います。

高校進学時においては、「せっかく頑張っているんだから、納得いくまでテニスを頑張ってみなさい」という一押しもあり、テニスのスポーツ推薦で高校進学を決めたのでした。

高校時代

高校は県内でもトップクラスの名門テニス部。
部員数は20名程度。スポーツ推薦の人のみしか入部できず、レベルの高い環境で、練習ができる環境が整っていました。

しんどい練習の中腐りそうになりながらも、必死に食らいつき、3年生が引退後の、1〜2年生のチームで、レギュラー獲得。その先輩たちが引退してからは、見事他の強豪校を倒し、全国大会出場を果たしました。

全国大会では、あまり活躍できなかったものの、自分にとってはすごく良い思い出です。

ただ、引退試合の練習試合で、やる気をなくす出来事がありました。
引退の団体戦の控え選手としてメンバー候補に入っていたのですが、他校との最後の練習試合で、自分が試合に入れてもらえず後輩の人たちが次々と入り、自分は相手の7番手と試合することになりました。

その事件があってから、やる気を無くしレギュラーも外れ、顧問からも「お前の進路の面倒は見ない」と言われる始末。そう言われた時も「はい。自分でなんとかします」なぜか強気で突っぱねたのを覚えています。(今思えばむちゃくちゃ生意気ですね。。。笑)

そこから、猛勉強が始まります。威勢良く「自分でなんとかする」といったものの、一番最初の模試の偏差値は35。どう考えてもお先真っ暗でした。そこから、がむしゃらに朝8時に登校し、夜10時まで勉強する日々を1年間続け、結果的にMARCHクラスの大学に合格することができ、学校のパンフレットに掲載されました。

それを知った顧問は「お前はやればできるやつだな。俺から言われて火がついたんやな。」と言われたのを今でも覚えています。

大学時代

高校生活は、「テニス」と「勉強」しかやってこなかったため、大学では思いっきり青春を謳歌してやろうと意気込んで入学したのを覚えています。

テニスはもう高校でやりきった感があったので、違うスポーツでも入ろうと思っていたのですが、実際にテニスサークルに行ってみると、めちゃくちゃちやほやされるんです。それが嬉しすぎて、テニスサークルに入会し、テニス一色の大学生活を送りました。

そんなこんなで、楽しく大学生活を送っていたのですが、3回生になり就職活動をすることになります。
開始当初は非常に順調で、6社大手の最終面接に行くことができました。
しかし。。。なぜか全落ち。。。一方で自分の周囲はみんなが羨ましがるような大手企業に内定を得ていったのです。

自分はできるやつだと勘違い(笑)していた私は、「この人たちに何が負けているんだろう。負けたくない!」と思い、将来独立を目指すことを決意。

ただ、費用的にももう一年就活をするという選択肢はなかったため、再度再開し内定を獲得。その後、独立をするために知り合いの伝を伝ってイベントに参加していきました。

そんなセミナーの中で出会ったあるベンチャー企業が、長期インターン生として学生を受け入れているということを知り、大学生活の残りの3ヶ月をそのインターンに捧げることに決めました。

そのインターンは非常にハードで、完全成果報酬型の新規営業の仕事で案件を獲得できれば、給与あり。そうでなければ、給与なしという状況下でした。

当時の僕は、ただ働いていれば時給がもらえるという考え方だったため、非常に辛く苦しいものでしたが、案件を獲得できた時の喜びはひとしおで、結果的にぜひ戻ってきてほしいと言われるまでの成果を上げることができました。

環境がない中で「一からお金を稼ぐことの難しさ」を学んだ1年間でした。

社会人時代

1社目:超老舗商社

1社目は創業300年の「ど」がつくほどの老舗の商社で、営業職としてキャリアをスタートさせます。ただ、3ヶ月間ベンチャー企業で仕事をしていた私にとって、その環境はあまりにも「退屈」でやりがいを感じれない職場となりました。

それを感じた最たる例が、最初の1ヶ月間の研修。役員の方が事業部の説明をしてくれる機会があり、社会を知らなかった私はいろいろ自分から質問を行いました。しかし、その答えは私が求めていた物とは大きくずれており、こちらの意図を組んでくれないようなものでありました。

また、その後社長とも話す機会があったのですが、会社の事業、今後の会社の方向性、何を考えて仕事をしているのかについて質問したところ、「もっと勉強してから物事を言え」と一蹴されてしまいました。

たしかに、入って間もなくかつ社会のことについて何もわかっていない若造で聞方がまずかったのではと今になっては思いますが、それに対して真っ向から否定するのは役員としてどうなんだろう?と思ったのを覚えています。

その後配属となり、仕事を続けていましたが、商社だけありメーカーさん、お客さん、社内の付き合いで、週3〜5日ずっと飲み会を行っているような状況でした。

それはそれで楽しかったですが、はたして役員の人がきちんと新入社員にわかるように説明をしてくれないような会社に自分の身を預けることが怖くなり早く他の会社に移らなければという焦りがあったのを覚えています。

結果、私はインターンをしていた社員10名のベンチャー企業に戻ることを決めたのでした。

2社目:名もなきベンチャー

前職の環境に嫌気がさし、大学生時代に勤めていたベンチャーに戻った私でしたが、転職当初は、人生で一番辛い時期でした。

まず、転職を決めた日に両親に報告したところ、私からも報告があると言われ、1年前に離婚していたことを告げられました。
原因は、父親の浮気によるものでした。その報告を聞いたときに、私は全身の力が抜け、勝手に涙が出てきたのを覚えています。

と同時に私が思ったことは、「だれも悪くないのに、全員不幸になっている」ということでした。
状況的には父親は10年間単身赴任をしており、自分が稼いだお金も満足に使えず、子供にも会えない状況の中で必死に耐えていました。一方で母親は父親があまり帰ってこれない中で、必死に家族を守ってきました。みんな家族を守るために必死に自分の持ち場で頑張っていたのです。

確かに父親がした「浮気」という行為は許されるものではありません。
でももし、もっと早くその変化に気づき父親の元で家族全員で暮らしていればこうはならなかったのではと今では思います。
こういった経験から、「幸せな家庭を築くためにはどうしたらいいか」について真剣に考えるようになりました。

また、転職を決めた数ヶ月後、2年間付き合い続け、同棲していた彼女に突然別れを告げられました。

彼女としても、大手企業を辞めてベンチャーに行く人なんて信頼できないと思ったのでしょう。(当時はあまり気づけなかったですが、今ならその気持ちはよくわかります。)
ある日、「もうてんてん君の期待に応えれない。ごめんね」とラインが入り帰ってみると、同棲していた彼女の荷物は全て無くなっていました。

大手のブランドもなくなり、円満だったと思っていた家族が離婚。そして最愛の彼女から振られ、お先真っ暗。そんなどん底のスタートでしたが、リソースのない中でどうやって会社を回していくか。自分が大きな歯車となって会社を回していく楽しさをここでは感じることができて、ここでの経験は大きな財産となっています。

3社目:大手人材会社

体験談は別途書きますが、お付き合いしていた彼女との妊娠が発覚、小さな会社で3ヶ月赤字が続いていたこともあり、転職を決意します。

体験談はまた別途書こうかと思いますが、結論としては、年収が二倍になる転職となり、現在は人材会社のキャリアアドバイザーとして働いています。

キャリアアドバイザーとして「その人の大事にしたい価値観は何か」を考え日々面談を行うのですが、一番感じることは「キャリアに対してあまりにも無頓着である」ということと「自分も転職について無知すぎた」という思いから、一人でも多くの人に転職市場について知っていただきたいと思い、このブログを立ち上げております。

私が一番大切にしたい価値観は「家族を路頭に迷わせない」ということですが、このブログを読んでいただいた方が、自分の大事にしている価値観を見つけ、そしてそれにあった仕事を見つけるための手助けになればと思っています。